日記2025 7-12月
一週間の夏休みを終えて、もう何ヶ月も仕事をしていないような錯覚に陥っている竹バイクです。 実家に帰ったり、親戚宅へ行ったりして、有意義(多忙?)な過ごし方をしたからかもしれません。 帰省していると自分で調理しなくても美味しい料理が食べられるという幸せがあったわけですが、自宅に帰ったらそうはいきません。 夏休み最終日、帰省前に空っぽにした冷蔵庫に食材を補給すべく独りで買い出しへ。 手軽に美味しいものが食べたいけど、マンネリは嫌だという自分で自分の首を絞める我儘に耳を傾けながらカートを押します。 一旦、魚コーナーの鯛アラに手が伸びたのですが、「マンネリ」だと耳元で囁きました。 鯛を返して、横に脂の乗った鮭のアラとカンパチのアラがあったので用途も考えずにそちらを購入。 家に帰ってから、買ったは良いもののどうしようかと悩むわけです。 煮付けという手はありますが、調味料の加減と火の入れ具合が不器用な竹バイクには難しい...。 焼くという選択肢を取った場合、薄い身の部分がパサパサになった経験があるなぁと色々思案。 鮭とカンパチを同時に使う味付けは味噌...そうだ味噌汁に入れよう。 ということで今回は鮭とカンパチのアラ汁の紹介です。 石狩汁にカンパチをさらに追加した料理という感じです。 カンパチは臭い強めの魚のため、まずはまな板の上に並べて、上から熱湯をかけて臭みを取ります。 鍋に鮭とカンパチを並べて火を点け、しばらくしたら上から日本酒をドバーッと適量かけます。 上から別にカットしておいた玉ねぎ、キャベツ、しめじなどの野菜類を入れてます。 さらにそこにほんだしと水を投入して、適度に混ぜてクツクツなるまで煮ます。 ほんだし活用術ですが、私は味の素の回し者じゃないですよ。(笑) ある程度火が通ったら、もやし、マイタケ、豆腐など火を通し過ぎると食感や香りが変わってしまう食材を投入。 その後に味噌を溶かしながら入れたら、鮭とカンパチのアラ汁の完成です。 食べてみると汁に魚の香り成分が結構出ているというが第一印象。 逆に魚の身自体は臭みが少なく、ふっくらしていてかなり美味しいです。 骨を取って息子たちにも渡しましたが、魚はかなり気に入ったようでバクバク食べてくれました。 翌日も残りを食べてみると、味が落ち着いていて、汁から魚の旨味をしっかり感じられるようになっていました。 魚の身が崩れて小さな骨が面倒という点はありますが、魚介料理店で出てくる魚汁に近い感じで味は良いです。 一日置いた方が汁が旨いというのは、魚のアラからはしっかり出汁が出るという証左かもしれません。 安いアラを美味しくフル活用してお腹だけでなく守銭奴としての心も満たされたのでした。 |
今日は兵庫県丹波市柏原で国内歴代最高気温41.2℃を記録しました。 こんな暑い日には酸っぱいものを食べると良いらしいので、今回は酸味のある創作料理の紹介です。 具体的に何かと言うと、「すきやき」です。 まず経緯としては、先週、妻が牛肉を買ってきてすき焼きをするという話になっていました。 実は竹バイク、すき焼きという料理が苦手でして、醤油と砂糖で牛肉を台無しにするとまで思っています。 そこで普通のすき焼きを回避するために色々調べて辿り着いたのが今回の酸っぱいすき焼きです。 美味しんぼのシャブスキーにヒントを得ています。 この季節、我が家では自家製の梅シロップを作るので使用後の梅が大量に冷蔵庫に保管してあります。 梅ジャムなどに加工する予定ですが、今回はこの梅を使います。 氷砂糖の糖分を纏った梅を6個ほど取り出して手で解してフライパンに入れ、日本酒を入れて火にかけます。 煮立ったら火を止めて、しばらく置き、その間に食材を切ったりして準備。 食材が揃ったら再び火を点け、醤油とほんだしで味付け。 そこに牛肉のみを入れて肉に火を通します。 牛肉だけ調理するのは火を通し過ぎて硬くなるのを防ぐためで、火が通ったら一旦別皿に取り出しておきます。 肉の脂がさらにプラスされた汁の中に野菜、きのこ、豆腐などを入れて煮ます。 食べ頃になったら、火を止めて肉を戻して出来上がり。 砂糖に漬けた梅だったので甘くなり過ぎないか心配でしたが杞憂でした。 しっかり梅の酸味が出て、酸味と塩味、甘味のバランスが良く、梅風味すき焼きはなかなか美味しかったです。 そのまま食べても良いですし、普通のすき焼きと同様に生卵に浸けて食べても違和感無しでした。 普通のすき焼きが口に合わない方は似たような食べ方をすれば美味しく頂けるんじゃないかと思います とりあえず日本中のすき焼き屋を敵に回した気がしてならない竹バイクでした。 |
ミドルエイジクライシス真っ只中の竹バイクが今回読んだ本はこちらです。 TIME OFF -働き方に"生産性"と"創造性"を取り戻す戦略的休息術- ジョン・フィッチ、マックス・フレンゼル著 休息の取り方を考え直してもっと創造的、生産的になろうという本です。 僕たちは休むことを、仕事とは真逆のことだと思いがちだ。 良い労働倫理とは死にもの狂いで働くことではない。 長時間労働したからといって、労働の質が上がるわけではない。 「休息倫理」を労働倫理の一部として理解しなければならない。 休息倫理が必ずしも「休暇を取ること」を意味しない。 最近、休暇を取るのは病気(身体or精神)のときだけの竹バイクには耳が痛いです。 内容としては休息とはただ休むことではなく、活動的に自分がしたいことをすることが含まれるのです。 そうすることで心身共に健康で創造力が溢れ、仕事の効率(生産性)も上がるという話です。 これは今に始まったことではなく、古代ギリシャの頃から人間は「高尚な余暇」のために生きていたと言っても過言ではないのです。 「高尚な余暇」は、ぼーっとすることでも、ただリラックスすることでもない。 余暇は、学問の追及や善いこと(つまり音楽、詩、哲学)を気兼ねなくする時間。。 かの時代は労働は奴隷が行うもので、有閑階級は昼間から哲学の議論等をしていたというのは広く知られている話です。 その話を初めて聞いたのは10代の頃だったと思いますが、私の印象は「働きもしないでのらりくらい過ごすなんてクズやな」でした。 一生懸命、平日は働いて家族を養うのが常識だという固定観念があったのだと思います。 ただこの固定観念は特に産業革命以降に工場に人を集めて生産を行うようになって根深く人々に植え付けられたもののようです。 この本を読んで、一番心に残ったのは以下の部分でした。 あなたの時間が誰かにとって価値を持ち、交換したり与えたりできるようになったということだ。 時間が商品になったのだ。 仕事と余暇がごちゃ混ぜになり、余暇を怠惰や自堕落さと結びつけているのだ。 高尚な余暇がすっかり忘れ去られただけでなく、余暇が罪になってしまったのだ。 素早く仕事を仕上げることでお金が支払われるのではなく、時間そのものに支払いが発生するため、無駄に忙しくしていなければ罰せられるようになったのだ。 (労働者は)みんな常に忙しく、ストレスに耐え続け、働きすぎることが勲章であり。自分の価値や有能さを、そうすることでしか証明できないようだ。 (管理者は)いかに忙しいかを測れば、生産性やクリエイティビティをちゃんと評価するよりも手っ取り早い。 与えられた仕事が単純労働なら時間≒生産量であり、確かに時間で労働者を拘束すれば計画も立てやすいのは分かります。 日本人はそこにカイゼンなる思想を持ち込み、生産性を少しでも上げようと努力してきたわけです。 ただメーカで働く人間としては、生産性の概念は単純労働に焦点が当たっており、創造性が必要な知能労働も同じと会社側が考えている節があります。 本書では単純労働と知能労働は全く異なるものであり、知能労働の生産性を上げるためには戦略的な休息が必要と述べています。 後半各章はそこまで新しい内容ではなかったですが、まとめると以下です。 ・適切な睡眠、運動をして、ひとりになって内省する時間を持ち、旅をして遊ぶ中でアイデアが生まれる ・便利な情報機器に囲まれた現代は、SNSやスマホアプリの通知など邪魔が多過ぎるので意図的な遮断が必要 当たり前かもしれませんが、知能労働をする組織では全員が頭に入れておくべき事柄だと思います。 長時間労働が身に沁みつき、休暇を取ることに後ろめたさを感じている多くの日本人は、これから来る単純労働が無くなる未来のためにも今の働き方を改めないといけないわけです。 そう切に思いながら先週は体調不良で非戦略的休暇を已む無く取得した竹バイクだったのでした。 |
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