宇陀旅行記'25 2025年1/13 |
1/13(月)、実家のある名張からふらっと車で小旅行に出掛けました。 向かったのは名張市のお隣の奈良県宇陀市。 11時頃に家を出て、30分ほどで宇陀市東部の旧室生村にある室生寺周辺に到着。 とりあえず室生寺の太鼓橋の手前にある橋本屋で腹ごしらえ。 詳細 山菜とろろそばを頂いて、身体の中から温めてから室生寺の参拝開始。 室生寺は奈良時代末期に創建された名刹です。 近代まで高野山が女性の入山を禁止していたのに対して室生寺を参拝することは可能であったため女人高野としても有名です。 ただ山奥にあるせいかこの日訪れていた人はそれほど多くありませんでした。 太鼓橋を渡り、受付で600円を支払って入山。 最初に立派な朱の仁王門が現れます。 この先にある建物はどれも国宝か重要文化財であり、そこらの寺院とはレベルが違います。 階段を上がると最初に目の前に国宝の金堂(平安時代初期)が現れます。 この中には釈迦如来立像があり、こちらも国宝に指定されています。 国宝の像は厳重に管理されているかと思いきや、開けっ放しの扉から見えるところにあります。 温湿度管理された室内でガラス張りの中に入っているより、ずっと見ごたえがあります。 建物自体がそれほど大きくないので室生寺はこういう展示が多いです。 金堂の横には重文の弥勒堂(鎌倉時代)も同様です。 下からライトアップされた弥勒菩薩立像などがあり、思わず見とれてしまいました。 もう少し先に進むと国宝の本堂(鎌倉時代)が現れます。 この建物内には靴を脱いで入ることが出来、本尊の如意輪観音菩薩像を拝むことが出来ます。 本堂の前の灯篭には苔が生し、自然に抗わない姿が美しいです。 自然が良いと言ったばかりですが、ふと本堂の横を歩いていると不自然に砂利が集められた場所を発見。 隠れハート発見! 不自然ですがきっと幸運になれると信じて階段をさらに上ると国宝の五重塔(平安時代初期)が現れます。 室生寺の五重塔は階段から仰ぎ見る写真をよく見ます。 30年ぶりくらいに見て思ったのは「思ったよりちっちゃくね?」でした。 屋外に立つ五重塔では国内最小だそうです。 五重塔から先は奥之院に繋がる道があり、せっかくなので行ってみることにしました。 この道を歩いて驚かされるのは道の横に立つ杉の大きさ。 光と影が美しく、無性に白黒で写真が撮りたくなってしまいました。 ほとんど誰もいないからこそこういった雰囲気が出せるんですね。 この素晴らしさを失わないためにもこれからもあまり人は来なくて良いです。(笑) この後、私を待ち構えていたのがこちらです。 無限に続く階段です...。 段差はバラバラで角度も急なので久々に息を切らしながら歩きました。 奥之院が近づくと急斜面に建てられた懸造の常燈堂が現れます。 大きさからしても常燈堂が凄いのかと思いきや、常燈堂の向かいにある御影堂(鎌倉時代)が重文に指定されています。 こうして室生寺を満喫して、帰り道に徒歩10分ほどの室生龍穴神社にも立ち寄りました。 室生寺の杉も凄かったですが、この神社の杉も信じられないくらい大きいです。 神社の鳥居の左右も杉の巨木があり、入って右側には連理の杉なるものがありました。 境内で一番大きな而二不二の神木は大きすぎて写真に収まりきらず諦めたくらいです。 室生寺も龍穴神社も巨大な杉が多い特別なエリアであることをもっとアピールしていったら良いのにと思うところです。 こうして室生を存分に楽しんで次の目的地に向かうのでした。 |
宇陀旅行記'25 2025年1/13 |
13時過ぎに室生を離れて、続いて向かったのは宇陀市南東部の旧大宇陀町に位置する宇陀松山。 室生から真っすぐに行ければ良いのですが広い道が無いようで、ナビの案内に従い榛原を経由して向かいました。 現代において宇陀市の中心市街地は近鉄の榛原駅周辺であることは間違いないです。 しかし市町村制が開始された1890年4月1日時点では榛原は榛原村であるのに対して今回訪れる宇陀松山は松山町でした。 参考 したがって明治時代は宇陀松山の方が栄えていたのではないかと勝手に想像しています。 それはともかく室生から30~40分ほどで道の駅宇陀路大宇陀に到着。 この道の駅から東へ100mほどのところから古い街並が残る宇陀松山に入りました。 宇陀松山の城下町は南北の旧街道沿いにあります。 この辺りはその中でも南側にあたり、ここより南には久保本家酒造と芳村酒造といった酒蔵があります。 横を流れる宇陀川の水が良いので酒造りも盛んということです。 そこから北へぶらぶら歩くと古い家々の密度に驚かされました。 古い建物を再利用して案内書にしたり、景観を残そうという取り組みが感じられます。 古民家カフェなんかもあって上手くやっているなと感心していました。 宇陀松山は薬のまちとしてアピールもしようとしているようです。 200年以上続く薬草園である森野旧薬園をはじめ、薬の館なる建物もありました。 旧街道沿いに1kmも古い街並が続き、うだつや虫籠窓がある建物があり過ぎてどこの写真を撮ろうか迷ってしまうくらいです。 この城下町に入る黒門と呼ばれる松山西口関門も残っています。 門と城下町は残っていますが、宇陀松山城は現存していないので春日門を通った先にある春日神社に参拝。 帰り道も街並を見ながら車を停めた道の駅まで戻りました。 長時間屋外にいたので身体が冷えてしまいましたが、道の駅の横に足湯を発見。 ただタオル類が無いので足は浸けずにアルカリ性のヌルっとした湯で手だけ温めて帰路につきました。 このエリアはアクセスが良いわけでも華やかなわけでもないですが、魅力的な観光資源はあるので何とか盛り上げる術があれば良いのにと思った次第です。 |
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