丹波旅行記'25 2025年9/23 |
秋分の日の暦の通り、近頃秋めいてきて、昼間に外出する気が出てきました。 そこで久しぶりに車を借りて、家族で兵庫県丹波市まで小旅行に出掛けました。 丹波市は兵庫県の東部に位置し、平成の大合併で氷上郡6町が合併してできた市です。 緯度的には淡路島を除く本州兵庫県の真ん中あたりですが、阪神エリアに住む民としては三田、篠山のさらに奥なのでかなり北の感覚があります。 合併時に旧国名「丹波」を市名にする点で、「お前は丹波の中心都市じゃないだろ(意訳)」と周辺市から反発があり、篠山市はわざわざ丹波篠山市に改名したくらいです。 今回はそんな丹波市南部の山南町と柏原町を散策し、最後におやつを食べに春日町に立ち寄った旅になります。 9時過ぎに伊丹を出発し、10分経つか否かで4歳の次男が「まだ着かないのー?」と言い出しました。 申し訳ございません、どこでもドアを持っていないもので。 宝塚ICで中国道に乗り、吉川JCTから舞鶴若狭自動車にを北進。 丹南篠山口ICで下りて、東へ10kmほど走ると最初の目的地である丹波市山南町の丹波竜の里公園に到着。 巨大な丹波竜(タンバティタニス・アミキティアエ)がお出迎えしてくれます。 丹波竜はここから500mほど先の川底で2006年に発見された恐竜です。 そこから「山南町=丹波竜」となり、丹波竜一色の町になっています。 丹波竜の里公園自体は恐竜のオブジェと恐竜型の遊具、恐竜のベンチがある普通の公園です。 子供たちは遊べれば文句はないので存分に楽しんでいました。 しばらくすると隣接する道の駅っぽい施設「元気村かみくげ」からおじいさんが近付いてきてこっちに来るように呼びかけられました。 6歳の長男は知らない人が声をかけてきたので完全に引いて母親の足にべったり。 代わりに私が話を聞くと、ちょっと離れた場所から写真を撮ると「手乗り丹波竜」が出来るとのことでした。 長男はこうなるともう動かないので、おじいさんに挨拶だけして戻りました。 その後もおじいさんは色んな人に手乗り恐竜をオススメしていました。 オススメスポットなら表示しておいたら良いのにと思ったのですが、きっとおじいさんは色んな人と話がしたかったんだろうなと思う次第です。 公園で30分くらい遊んだので、次に行こうとしたのですが問題発生。 次男が元気村かみくげの軽食堂でおもちゃを売っているのを発見してしまいました。 次男はその場に座り込み動かなくなり、持久戦に突入。 もう今日は別のおもちゃは買わないと約束し、兄弟でひとつずつおもちゃを買ってもらっていました。 おもちゃをGETして上機嫌になった子供たちを乗せて昼食へ。 丹波竜の里公園から西へ4kmほどの集落内にポツンとある「ゑにちうどん」という讃岐うどんの店です。 詳細 今年オープンしたお店で、外観は普通の民家なのですがセルフ式の本格的な讃岐うどんが頂けます。 かけ、ひやかけ、ぶっかけの3種類を家族4人でシェアし、うどんをコンプリート。 個人的にはひやかけが一番のお気に入りでした。 天ぷらの中に丹波っぽい「いのししコロッケ」があってなかなか面白かったです。 うどんでお腹を満たして、次に向かうはさらに4kmほど先にあるたんば恐竜博物館。 博物館の外壁を丹波竜が突き破っちゃってました。 頭側だけでなく、尻尾でも突き破ってます。 尻尾の下にTDM(Tamba Dinosaur Museum)と書いてあって何で略しているんだろうとこのときは思ってました。 数日してから「あれは大きなネズミの国TD〇に寄せてたんだ!」って気付きました。 大きなトカゲの国であるTDMに入ってみると、エントランスにも丹波竜。 博物館なので丹波竜の全身骨格などもありますがデカすぎて写真が上手く撮れません。 見ていると丹波竜の全身骨格はスルーされがちで、ティラノサウルスの方を皆さん撮影をされてました。 この博物館は非常にコンパクトで子供でも飽きずに見て回れます。 恐竜に関係する本を置いたスペースもあり、子供連れにピッタリだと思います。 その結果、何冊か覚えていないくらい本を読まされましたけどね。(笑) 博物館を出ると13時半頃になっており、これでこの旅の恐竜パートは終わり。 丹波市の歴史の町柏原パートに続く。 |
丹波旅行記'25 2025年9/23 |
たんば恐竜博物館を満喫してから車に乗り込み、北東へ10kmほどの丹波市柏原町へ。 柏原は江戸時代に柏原藩が置かれた歴史ある町です。 ただ未就学児に歴史を学べと言っても無理なので、妻と子供を「丹波の森公苑」を下ろして、ひとりで柏原散策をしました。 柏原の町は柏原駅の東側にコンパクトにまとまっています。 まずは柏原八幡宮の参拝です。 駐車場に車を停めて、鳥居をくぐると石段が続くので、鈍った身体には良い運動になります。 上り終えると、本殿とその後ろに三重塔が現れます。 神社の本殿と三重塔が真っすぐ並ぶ景色はあまり見たことが無いです。 まず三重塔は仏教建築なので、神社に三重塔があること自体が現在では珍しいです。 これは神仏習合の名残であり、明治初期の廃仏毀釈を上手くやり過ごしたようです。 参拝を終え、石段を下って本格的に柏原の町を歩きます。 柏原八幡宮の目の前に観光案内所があり、わざわざひらがなで「かいばら観光案内所」と書かれていました。 知名度的には大阪の柏原(かしわら)の方がずっと有名ですから仕方ないですよね。 でもそんな町を今年有名にした出来事がありました。 7/30に日本最高気温41.2℃を記録したんです。 5年ぶりに記録を塗り替えて、ほっとするホットな町はきっとこんな幟を作ろうと思ったんですね。 僅か6日後に記録を塗り替えられるなんて思ってなかったでしょうけどね。 さておき観光案内所の隣には大きなケヤキの木があり、根が橋のように川を渡っているので木の根橋と呼ばれています。 そのさらに隣にあるのが昭和レトロなかいばら一番館で、丹波市になる前は柏原町役場だったようです。 周辺の街路は整備されていて観光地らしい感じになっていますが、歩いている人はほぼいませんでした。 古民家をリノベーションしたアクセサリーショップなどもあり、この雰囲気は良いと思います。 ただ私のような街並マニア以外の普通の人を惹き付ける力が弱いんでしょうね。 街をぶらぶら歩きながら柏原駅まで行ってみました。 城崎温泉など豊岡方面に向かうときに特急こうのとりで停車したことがあるので、何となく雰囲気は覚えています。 なぜこんなに変わった見た目の駅なのかと思って調べてみると、1990年の花博の会場にあった山の駅を移築したものらしいです。 駅の近くにやぐら公園なる広場があり、やぐらの上に太鼓を叩いている人形がおりました。 これはやぐらと太鼓を分かりやすく表現したものですが、もう少し北側に太鼓やぐらなるものが残っています。 この建物の上に、つつじ太鼓というものがあり、昔は火事、水害の警報や藩主の帰藩の合図などに使われたそうです。 説明を読むと、つつじ太鼓は宇陀松山藩から国替えになるときに持ってきたものだとか。 宇陀松山藩は今年の正月に訪れたのでよく知ってますよ。 リンク そしてそこの藩主は天正伊賀の乱で我が故郷を壊滅させた織田信雄(信長の子)であることも。 ここまで柏原が憎き織田の領地だと知らず歩いていた自分が情けない...。 それはさておき、大手通りというところを歩くと法務局、税務署、県民局などの官公庁が並んでいます。 こういう出先機関はありますが、丹波市役所は柏原町ではなくもう少し北の氷上町にあるので、町だけでの合併というのは難しい側面がありますね。 大手通りを抜けると、織田家旧邸長屋門とその奥に柏原藩陣屋跡が現れます。 お城はみんな行きたがるのに陣屋に行きたがる人はどうして少ないんだろう...。 観光地は中身より見た目のインパクトが全てということですね。 陣屋跡の横にはたんば黎明館(旧氷上高等小学校校舎)というのがあります。 明治時代に建てられた建物で、兵庫県の登録有形文化財に指定されています。 柏原にはこんなに色んなものがあるのに訪れる人が少ないというのは正直言ってモッタイナイというのが個人的な感想です。 こうして50分くらいで柏原散策を終えて、急いで妻と息子たちがいる丹波の森公苑に向かいました。 退屈しているかと思いきや、子供が遊べるおもちゃや本、生き物の紹介など色々あって楽しんでました。 遊びをやめない子供におやつでも食べに行こうと誘ったのですが、今度は施設に置いてある虫取り網と虫籠を手にして広場にトンボを捕まえに行ってしまいました。 小雨が降ってはいましたが子供たちはお構いなしで虫を追いかけ、私も童心に帰ってトンボを捕まえました。 次男は平気で捕まえたトンボやバッタを触れますが、長男は怖いようで、兄弟でも性格が違う点は面白いです こうして存分に楽しんでから車に乗り込み氷上町を経て春日町方面へ。 本当は氷上町で本州一低い分水界である水分れ公園にも行きたかったのですが、これ以上我儘も言えないので我慢。 丹波市春日町の春日IC近くにある夢の里やながわ 本店で丹波栗尽くしのデザートを頂きました。 詳細 栗クリームが美味しかったようで、私の分も次男にかなり取られました。 何はともあれこの日のプランはこれで全て終了。 夢の里のスイーツで糖分が入り、帰りの車で子供たちは夢の中。 休日の夕方なので宝塚名物の渋滞は軽くありましたが、無事に伊丹に戻り、丹波旅行を終えたのでした。 |
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