富士山

 東京下町境界旅行記'26 2026年6/13 
(神田・湯島編)

東京出張ついで旅の後半です。 前半

千葉から東京に戻り、千代田区、文京区、台東区周辺の山手と下町の境界を歩きます。

ということで、東京下町境界旅行記と名付けておきます。

10時過ぎにJR千葉駅から休日の総武線の満員電車に乗車。

何もない休日に電車がこんなに混むのは、そもそもキャパシティが足りていない証左です。

錦糸町での乗り換えを含めて1時間弱で秋葉原駅に到着。

秋葉原

秋葉原を訪れるのは久しぶりですが、別に電気屋さんやメイドカフェには用はありません。

十数kgの荷物を背負いながらかなりの距離を歩く旅の始まりです。

体力に自信が無い人は、決して真似してはいけません。(笑)

まず秋葉原から南西へ直ぐのところにある万世橋へ。

万世橋駅跡

旧万世橋駅跡はmAAch ecute(マーチエキュート)というレンガ造りの商業施設になっています。

こういう古いものを有効活用するところが素晴らしいです。

誤字みたいなネーミングはいただけませんが...。(笑)

mAAch ecuteの横を通り、東へ進むとオフィス街の中にいきなり急勾配の坂が現れます。

ここが本郷台地の先端へ上がる坂で、下町と山手の境界のひとつです。

文章で書くより、勾配を合成した国土地理院の地図が分かりやすいです。 地形図

今は「下町」という言葉が昔ながらの街並を残した場所的な意味で使われることもありますが、本来は地理的に下にある町という意味です。

したがって秋葉原は下町に対して、この坂の上にある神田駿河台は山手になります。

登ったところにあるのが、東京復活大聖堂(ニコライ堂)です。

東京復活大聖堂

日本最大の正教会の聖堂だそうです。

中には入れなさそうだったので外から写真だけ撮って次へ移動。

神田駿河台には大学が多く、日大や明治がかなり広範囲にあって驚かされます。

明治大学

大阪は中心部に大学が無いのが普通なので、やっぱり東京と大阪は違うなぁと感心していました。

明大通りを南へ歩くと下り坂になっていて、神田神保町あたりまで行くと再び(地理的)下町に戻ります。

神保町は古書の街として有名ですが、実はカレー店が数百もあるカレー激戦区らしいです。

そこで明大通り沿いに店を構える「鴻 神田駿河台店」でスープカレーを頂きました。 詳細

赤・黒2種のスープカレー

この店の左右両隣もさらにその隣もカレー屋だったので、「どんだけカレー好きやねん」ってツッコミたくなります。

お腹を満たし、神保町の古書店街の様子を覗きに行きました。

神田古書店街

確かに古本屋がずらっと並んでいて、立ち読みしている人もそれなりにいます。

ただ竹バイクは古書に興味が無いので、踵を返して元来た坂道を上がり、まっすぐ進むと御茶ノ水駅。

次は御茶ノ水駅の東側にかかる聖橋まで行ってみました。

聖橋からの眺望

眼下に神田川と立体交差する電車が見られるスポットで私を含めて数名がカメラを構えていました。

秋葉原近くの万瀬橋の下を流れていたのも神田川ですが、坂を上った分だけ視点が異なるのが分かります。

でも地理マニアとしてここで疑問が生じました。

地形図を見ると、この神田川が本郷台地を突っ切るように流れているんです...。

実は神田川は江戸時代初期に幕府の命令で台地を掘削して出来た人口の河川だそうです。

神田川を掘削する前には、御茶ノ水あたりにあった神田山を切り崩して、日比谷、新橋方面を埋め立てたということからこの辺りは400年くらい前に大改造された土地ということです。

続いて、聖橋を北側に渡ったところにあるシックな色の建物が湯島聖堂です。

湯島聖堂

孔子を祀る孔子廟があり、かの有名な昌平坂学問所があった地でもあります。

湯島聖堂の北東には神田祭で有名な江戸総鎮守神田明神があります。

神田明神御社殿

都会の真ん中にある神社で、ガラス張りのお土産を売る施設の前にだいこく様がおられます。

だいこく様尊像

商売繁盛なのは神社側じゃないかと思って...。(笑)

神田明神の裏から出て北を目指しているつもりが、誤って東へ進んでいて、いつの間にか坂の下へ。

途中で気付き、そこから北上して地下鉄湯島駅辺りで西に曲がると急勾配の中坂。

ここも下町の山手の境界で、坂の上にあるのが湯島天満宮

湯島天満宮

こちらは学問の神様菅原道真を祀っているわけですが、湯島聖堂と湯島天満宮のどちらで合格祈願すべきか迷いますね。

湯島天満宮の牛を見てから、さらに北に歩を進めて旧岩崎邸を訪れました。

旧岩崎邸洋館

三菱財閥を興した岩崎家の邸宅であり、洋館は迎賓館として使われたそうです。

関東大震災や東京大空襲でも倒壊していないので、当時のスーパー金持ちの暮らしぶりが垣間見える建物です。

洋館の横にはスイスの山小屋のような撞球室(ビリヤード場)があり、洋館と地下で繋がっているんだとか。

旧岩崎邸撞球室

金持ちがすることは私には理解できません。

岩崎邸の出入口施設にはクーラーが効いた休憩室があるのでそこでしばらく休んでから再出発。

今度は岩崎邸から西にある東大に潜入してみました。

学生時代に東大ってどんなところだろうと夜の赤門前に行ったことはありますが、中に入るのは初めてです。

思った以上に古い建物がそのまま使われていて、想像とちょっと違いました。

久しぶりに赤門を見に行ったのですが、大規模改修工事中。(残念)

赤門

赤門は諦めて、安田講堂事件で有名な安田講堂を見てきました。

東京大学安田講堂

これで私も晴れて「東大行ってました」と言えます。(笑)

ここまでが前編の神田、湯島、本郷エリアで、後編は谷根千と呼ばれるエリアを歩きます。

 東京旅行記'26 2026年6/13 
(谷根千編)

後編は谷根千(やねせん)という昔ながらの東京の街が残るエリアを旅します。

谷根千は谷中、根津、千駄木の頭文字を取ったものです。

東大の正門を出て、東大の敷地の外を沿うように時計回りに歩きます。

東大の野球場のあたりまで歩き、少し下りにさしかかったところにあるのが根津神社です。

根津神社楼門

根津神社は東京十社に数えられる由緒正しい神社です。

この楼門の他に唐門や拝殿なども重要文化財に指定されています。

境内には乙女稲荷に通じる小さめの千本鳥居があり、海外からの観光客が伏見稲荷ばりに写真を撮っていました。

千本鳥居

乙女稲荷の奥には駒込稲荷があり、こちらはお狐様が沢山おられます。

駒込稲荷神社

この神社は本郷台地の端にあり、さらに下るとそこは本当の下町。

千駄木駅にかけて特に名所や見所があるわけではないですが、地図上でくねくね曲がった道があったので行ってみました。

この道はへび道と呼ばれ、明治初期までここに川が流れていたそうです。

今は暗渠化されており、川は見えませんが、この道の形状に名残が見られるわけです。

へび道

へび道を北へ進むと、よみせ通りになり、道の両端に商店がちらほら現れてきます。

よみせ通り

昔ながらの商店街という感じの通りで、ふと横を見ると昭和の雰囲気を残したTHE路地があります。

すずらん通り

千駄木の路地

延命地蔵尊まで行ってから少し戻り、今度は東に延びる谷中銀座へ。

この通りは観光客が非常に多く、写真を撮ると人の顔ばかり写してしまいます。

谷中銀座

谷中銀座の端には夕やけだんだんと呼ばれる階段があり、ここから再び上りです。

夕やけだんだん

この旅ではこれまで本郷台地を上がったり下ったりしていましたが、ここで上ったのは上野台地になります。

子供たちにベエゴマを教えているおじさんなんかがいてほのぼのとした雰囲気の街でした。

谷中

この時点でかなり疲れたのでどこか喫茶店でも寄ろうかと思ったのですが、有名かき氷屋は店前に30人以上の行列。

かき氷を食べる前に俺が溶けるわ。(笑)

諦めて、この辺りから南に延びる初音の道にも少し寄ってみました。

谷中の寺町に通じる道で、こちらも趣があります。

初音の道

幕府の政策で神田にあった寺社をこの地に移転させたためこの辺には60~70の寺があるそうです。

さらにこのエリアは空襲の被害が少なかったため、町屋や寺社がそのまま残っているとのこと。

初音の道はこれくらいにして、夕やけだんだんから真っすぐ東へ進むと再び下ると、そこがこの旅のゴールの日暮里駅

日暮里駅

谷根千というエリアはひとつの下町エリアとして捉えられがちですが、2つの台地に跨るアップダウンのあるエリアでした。

かなり足が限界に近付いたところで、山手線で東京駅へ移動。

ドラえもんデザインの東京バナナをお土産に買って新幹線で帰阪したのでした。

この日は午前中の千葉から合計31720歩、距離にしておおよそ22km。

都会で歴史と地理を織り交ぜて街歩きを楽しむのも悪くないですね。

ブラタモリの二番煎じという意見は無しでお願いします。

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